第95話 『煙草の話(一)、パイプ』

 喫煙は昔、文化だった。

 明治時代の高官や富豪の建てた洋館には、立派な喫煙室のあるものが多い。

又、氷川丸のような外国航路の客船には喫煙室があって、船客は長い航海の間のあり余る時間の多くを其処の紫煙の中で談笑して過ごした。

 当時、こうした大型客船の乗客は高級官僚や豪商、又その家族など、様々な人がいたと思われるが、いずれも上流階級の裕福な人達である。

 さて、喫煙室ではどんな話題が彼らの口にのぼったのだろう。

 嫌煙運動が激しさを増す此の頃だが、その理由がわからなくもない。

 歩き煙草のポイ捨て。強風の日でも火の粉を撒き散らしながら、周りの人々には一斉お構いなしである。バス停に出ている禁煙の看板の前で、堂々とプカプカやっている。

 こうした喫煙者のモラルの欠如は、同じ喫煙者の一人である私でさえ、思わず眉をひそめることが多い。

 空港や駅に設けられている狭い喫煙室の中で、スモーカー達が肩を寄せ合って煙草を吸っている姿を見ると、何ともみじめな感じがする。

 どうも喫煙者は自分で自分の首を絞めているようだ。

 煙草はそんな狭い場所で吸って欲しくないし又、吸っても美味しくない。

 江戸時代後期の歌人、橘曙覧の『独楽吟』に、

たのしみは 心にうかぶ はかなごと
 思ひつづけて 煙草すふとき

 とあるように、煙草はゆったりとした気分で吸うのが一番で、狭苦しい場所では到底そんな気持ちになれない。

 今のように小さな箱のような喫煙室で煙草を吸っているスモーカーは煙草を楽しんで吸っているのではなく、薬の切れた麻薬常習者と同じで、吸わずにはいられないので吸っているのである。

 その内、煙草は麻薬同様の扱いになってしまうかもしれない。

 英国の首相だったチャーチルは確か『大戦回顧録』の中に「煙草の功罪は一概に論じられない」と書いていたと思う。

 重要な国際会議で会談が決裂しそうになったとき、休憩をとって葉巻(チャーチルはいつも葉巻を吸っていた)を燻らしながら、「もう一度話し合ってみよう」と思い直して会議の席につき、ねばり強く折衝した結果、交渉がうまく行ったことが何度もあった、というのである。

 煙草を吸わない人が、吸っている人の煙を吸う受動的喫煙で健康を損うといって、喫煙者は毛嫌いされているが、これは煙草の煙害をいささか過大評価し過ぎていると思う。

 煙草の煙は見えるから問題になっているが、「見ぬもの潔し」で見えにくい排気ガスやスモッグは煙草ほど騒がれていないし、電波に至っては全く問題にもされない。

 受動的喫煙が嫌なら、喫煙者を今のように隔離すればよいが、排気ガスやスモッグはそうはいかない。汚染された空気でも我々は空気がなければ生きていられない。電波にしても通信・ラジオ・テレビ・携帯電話等々、我々の周りは電波が溢れている。その影響が全く無いといえるのだろうか。もしかしたら、最近の凶悪犯罪に繋がる切れ易い現代人の性格と電波漬けの環境は無関係ではなく、いつかその因果関係が証明される時がくるかもしれないのだ。

 こんなことを今更いったところで、盗人の言い訳としか聞こえないだろう。

 私も煙草を吸うが、外では専ら巻煙草を、家ではパイプを愛用している。

 昔はパイプ一辺倒だったが、数年前、煙草の吸える喫茶店でパイプを吸っていたら、店員から「普通の煙草にして下さい」といわれた。多分、パイプ煙草の香りがきついので、そう注意されたのだと思うが、それ以来、外出の時には巻煙草を持って行くことにしている。

 パイプに凝っていた頃は時々海外に行く機会もあったので、コレクションを始めて一時は五十本近く持っていた。

 パイプの図鑑で見たホルベックという作者のパイプが欲しくなって捜したが、どうしても見つからなかった。ちょうどその頃、コペンハーゲンに行くことになり、ぜひダンという煙草店を訪れたいと思った。ホルベックはダンの専属のパイプ作者だったのである。

 ダンの店はストロイエの裏通りにあった。

 古風な佇まいの店の中へ入って行くと、強度の眼鏡をかけた恰幅のいい店の主人らしい人物が応対に出て来た。

 私が「ホルベックのパイプはあるか」と訊くと、奥から二本のパイプを出して来た。

 その一本が木目と云い、形と云い、何とも素晴らしかったので、値段を訊くと、何クローネだったか忘れたが、当時の日本円にして十二万五千円位の金額を口にした。

 ある程度の金額は覚悟していたが、予想を超える金額にちょっと躊躇した。しかし、いつ又、デンマークへ来られるかもわからないので、思い切って買うことに決めた。

 主人らしき男はにこにこしながら分厚いサイン帳を出して来て、私に、そこにサインしろ、といった。

 そのホルベックのパイプは私のコレクションの中でも最も高価な一本で、今でも時々出して来て楽しんでいる。

 昔パイプを吸っていたら、「マドロス・パイプですか」といわれた。

 マドロスとは船乗りのことで、マドロス・パイプというパイプの種類がある訳ではないが、船員達にパイプの愛用者が多かったので、その名がついたと思われる。

 三十数年前になるが、大型客船に乗ってエーゲ海をクルーズしたことがある。

 池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』やジュディ・オングの「魅せられて」という歌などが流行る前である。

 若い女性の船客に大もての中年の一等船員は、いつもメアシャウムのパイプを口にくわえていた。

 パイプは海によく似合う。

 メアシャウムというのは海泡石のことで、長年パイプとして吸っていると、ボウル(火皿のある所)の部分が美しいアメ色に変色してくるので、王侯貴族などは新しいメアシャウムのパイプを手に入れると、早くアメ色にさせるため家来達に間断なく吸わせたという。

 知らない人のためにいっておくが、パイプの一番大事な所はボウルの部分で、ステムというエボナイトなどで作られる吸い口の所は交換できるので、部下が散々吸ったステムは捨ててしまえばいいのである。

 メアシャウムは比較的柔らかいので、よくボウルの部分に人の顔を彫刻したメアシャウムのパイプを見掛ける。

 メアシャウムのパイプで思い出すのは、戦後すぐの頃、『肉体の門』という小説を書いて評判になった田村泰次郎という作家のことである。

 その頃、まだ学生だった私はよく雑誌『文芸春秋』を買って読んでいたが、ある時、その中に田村が、ダミアと食事した時のことを書いた随筆が載っていた。

 ダミアは戦前から戦後にかけて活躍した女性シャンソン歌手で、彼女が唄った「ひとの気も知らないで」という歌は一世を風靡し、シャンソン・ファンでない者でも知っている程有名だった。

 戦後、来日して懐しい歌を聞かせてくれ、オールド・ファンを喜ばせてくれた。

 パリへ行った田村は、クリニャンクウルの蚤の市で美しいアメ色のメアシャウムのパイプを見つけて買った。

 ダミアと食事をした夜もそのパイプを持って行ったのだが、食事がすんで勘定を払う時、持っていたパイプを思わずとり落してしまった。

 メアシャウムは脆いので、床に落ちたパイプは衝撃で真ん中から二つに割れてしまった。

 それを見たダミアは、

「まるで人生みたいに脆いのね」

 といった。

 落ちたパイプは砕けないで、見事にパックリと真っ二つに割れていたので、マニキュアの液でくっつけてみたら、ぴったりと付いた。

 それで、今でもそのメアシャウムのパイプを使っている、と書いてあった。
ーーーーこの稿続くーーーー

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