第77話 『梅花譜(一)、「梅暦」』

 私は梅が好きだ。植物も動物もただじっとして只管春を待っている厳寒に、小さな花を咲かせて馥郁と薫る梅は、春の使者であり、梅の香りは春の便りといえよう。

 冬に咲く花といえば、山茶花がある。かなり以前のことになるが、京扇堂の斎木隆三さんに連れられて大徳寺を訪れたことがある。大仙院をはじめとして二十一あるという塔頭のいくつかも拝観して廻ったが、楊貴妃と名付けられた有名な山茶花の木がある龍源院にも行った。

 二月のことで、その日は好天に恵まれたが、前日に大雪が降った後だった。庭は一面の雪で、その中に山茶花の木が一本と石燈籠が一基立っているだけだったが、真ッ白な雪の上に赤い花びらを片々と散らして立つ山茶花は、楊貴妃の名に相応しく美しかった。その凛とした姿は今でも脳裏に焼き付いているが、それでも、山茶花と梅とどちらが好きかと訊かれたら、私はやはり梅と答える。

 厳しい寒さの中、他の花に先駆けて咲く梅の花は、その香気と共に可憐で美しく、健気な感じがする。花の美しさや香りだけを取り上げていえば、梅に優る花も多いが、一年中で一番寒い時季に馨しい香りを漂わせて咲く梅は、逆境にめげることなく敢然と立ち向かって行く人間の姿に置き換えて共感を覚えるのかもしれない。また、仄かに薫る梅の香りは清雅で、俗とは一線を画した上品さが感じられる。

 不生禅で知られる盤珪禅帥は梅の香を聞いて大悟したという。禅師は若い頃、諸国を廻って何人もの師に付いて修行したが、どうしても悟りを開くことが出来なかった。二十四才の時、重い病気に罹った禅師はすっかり憔悴して意識も朦朧とした瀕死の状態になって、突然、今までの胸中に渦巻いていた苦悩が急になくなって行くのを感じた。朝になって、顔を洗い口を漱ごうとした時、風が梅の香りを運んできた。

『盤珪禅師行業曲記』に、

「一朝出て盥漱するに当たりて、微風梅香を襲ふ、恍然として大悟す、桶底の脱するがごとし」

 とある。まさに、梅香に相応しいエピソードといえるだろう。

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 小西来山の句に、

「三味線も小歌ものらず梅の花」

 とあるのは、梅は俗なものとは合わない、といっているのである。

『宗安小歌集』に、

「梅は匂ひよ 花は紅 人は心」

 隆逹節の小歌の文句に、

「梅は匂ひよ 木立はいらぬ 人は心よ 姿はいらぬ」

 やはり、梅の花というと、どうしても花の美しさよりも香気が優先してしまう。

 梅暦という言葉がある。梅の花で春を知ることだが、梅暦といってすぐ、思い浮かぶのは為永春水の人情本、『春色梅暦』(『春色梅古誉美』とも書く)である。『梅暦』は丹次郎という主人公を巡る女達の義理人情の葛藤を書いた物語で、その後、春水は『春色辰之園』、また『梅暦』の前篇とでもいうべき『春色恵之花』を出したが、さらに『英対暖語』、『春色梅美婦禰』と『梅暦』の続篇を次々に刊行して、人情本の第一人者となるのである。これらの作は、今ではまとめて『梅暦』と総稱しているようだ。

 永井荷風は「為永春水」という文を書いているが、その中で、

「私は春水の佳作中でも辰之園の此末節を以て最絶妙の処となしている。かくの如き一齣一段の佳処、断片的なる妙趣は読後の際_文筆専攻の人のみならず、厳格なる読書士をも感動せしめ、人物脚色共に千篇一律の弊あることを忘れしめ、知らず知らず全篇を読了せしめる」

 といっている。文中にある「辰之園の末節」を説明する為に、その内容を要約すると、以下のようになる。

『辰之園』は、題名からもわかるように深川(作中では、婦多川ともいっている)芸者の米八、仇吉と丹次郎の三角関係が主題になっている。

 二人は最初、周りの者が心配する程、互いに丹次郎を張り合うが、勝ったのは米八である。その後、仇吉は重病に罹り、借金取りに責められるようになる。仇吉の窮状を知った米八は彼女を尋ねて行って、その面倒をみてやる。仇吉は病気が治ってから、彼女を見舞いに来た丹次郎と会い、男の誘うままに、世話になった米八に悪いと思いながらも男の言いなりになって、やがて子供を身ごもる。仇吉は恩を受けた米八に申し訳ないと一途に思いつめて、置手紙を残して行方知れずになってしまう。

「この物語の結末は極めて簡単に叙述せられてゐるのが却て一層の哀愁を催さしめる」(「為永春水」)

 荷風のこの文だけ読むと、『辰之園」は仇吉が身を隠したところで終わっているように取られるかもしれないが、実はこの後の最後の章で、ふとしたことから仇吉とその子(女の子)の行方が知れ、めでたし、めでたし、となっているのである。

 荷風は更に続けて、同文中にある「一齣一段の佳処、断片的なる妙趣」の例をいくつか挙げているが、その最初に『恵之花』の小梅の百姓家での米八と丹次郎の逢い引きの場が出ている。丹次郎が米八をからかった後、米八の体を引き寄せようとすると、

 米「アレサマア私もお茶を呑むはね」丹次郎の呑みかけし茶をとってさも嬉しそうに呑み、また茶をついで二口三口呑み歯をならしてふくみし茶を縁側より庭へ吐き出し、軒端の梅の莟をちょいと三つばかりもぎりて噛みながら、丹次郎の側を少しはなれて寝ころぶ(『恵之花』)

 米八が梅の莟を口にふくむところが何ともいえず艶冶で魅力的である。

 吉井勇は『東京紅燈集』の中で、この場面を、

「米八が梅花を口にふくみたる
       くだり思へば老を忘るる」

 と詠んでいる。

 昔、ラジオで江戸文学の話をしていた先生(暉峻康隆先生だったかもしれない)が、江戸文学に出ている好きなシーンを三つ挙げろ、といわれたら、真っ先にこの『恵之花』の米八が梅花を口にふくむところを挙げるといっていたのを覚えているが、誰もが心を打たれる名場面といっていいのだろう。

 その江戸文学の先生は、あとの二つは挙げなかったので分からないが、私ならどうするか考えてみた。浅学の私が選ぶのだから、ごくありふれた作品の中ということになるが、まずは、京伝の洒落本『傾城買四十八手』の中の「しっぽりとした手」の中のシーンだろうか。客のムスコと女郎が床の中に入っている。女郎は昼三という高位の遊女で、ムスコは初めての客である。女郎はムスコを好いたらしいと思っている。暗い部屋の中、吸い付け煙草の火明かりでムスコの顔をつくづくと見て、見ぬふりをして自分が一服のみ、また吸い付けてムスコにやる。

 このシーンは、あとの「評」で、京伝は『源氏物語』の「蛍の巻」を付会したといっている。『源氏物語』で、兵部卿宮が源氏の放った蛍の光に照らし出された玉鬘の美しい顔を見て恋のとりこになる場面をとり入れたというのである。云わなければいいものを勿体つけた感じで、知ったかぶりが鼻につく。しかし、この場面は小唄にも出てくる。

「二人が仲をお月さん、それと粹なるおぼろ影、吸い付け煙草の火明かりに、話も更けてぞっと身に、夜寒むの風のしみじみと、焦れったいよも口のうち」

 ここまで書いて来て、残る一つをどうするか迷ったが、小唄が出てきたので、もう一つ小唄を挙げることにした。

「羽織着せかけ、行く先尋ね、すねて箪笥を背なでしめ、ホンにあなたは罪な人」

 最後の「ホンにあなたは罪な人」という文句をとり除けば、七七七五の都々逸調になり宴会などでも都々逸としてよく唄われているようだ。昨年亡くなった作家の吉村昭さんはこの唄が好きだったので、取り上げることにした。

 吉村さんは三味線の唄は都々逸以外唄ったことがなかった。私が学生時代から邦楽をやっていたので、私の前では遠慮していたのかもしれないが、酒席で輿がのると、「羽織着せかけ」を唄ってくれないか、と私によくいった。私は弾き語りで何回か、やったことがある。

 吉村さんは、「羽織着せかけ」の唄の文句の「すねて箪笥を背なでしめ」のところを、はじめは「背撫でしめ」と思っていたようで、私が「背な」は単に背中のことだと説明すると、「背撫でしめ」という表現がなかなか味があって面白いと思っていたんだが、といっていた。

 梅の主題から少し外れてしまったが、次回は江戸の梅の名所に話を戻すことにする。

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