第5話 『石川丈山、及び、六条河原院(かわらのいん)その1』

石川丈山作の漢詩


『富士山』

仙客来遊雲外巓   仙客来り遊ぶ雲外の巓(てん)

神龍棲老洞中淵   神龍棲み老ゆ洞中の淵

雪如糸丸素煙如柄  雪は糸丸素(がんそ)の如く煙は柄(へい)の如し

白扇倒懸東海天   白扇倒(さかしま)に懸(かか)る東海の天


「白扇倒懸東海天」という名文句で知られる漢詩『富士山』は石川丈山の作である。訳するまでもないと思うが、

「仙人が遊びにくるかと思われる程、高い頂(いただき)。神龍が住みついているかと思われる洞中の深淵(噴火口のことか?)。積もった雪は扇に貼った白絹のようで、噴煙は扇の柄のようである。まるで、東海の空高く扇を逆さまに掛けたようだ」

といったところだろう。

石川丈山と六条河原院

石川丈山は、幼名を重之、俗稱を嘉右衛門、号を丈山、詩仙堂、六三山人などといった。天正十一年(1583年)生れで、三河の人である。徳川家康の御小姓役だったが、大阪夏の陣の時、軍令を犯して抜け駆けの功名をあげた(唯一騎で抜け出して敵の首をとって来たという)咎により勘気を蒙り、浪人した。

その後、安芸の浅野家に仕えたこともあったが、晩年は京都一乗寺の詩仙堂に住んだ。儒学を藤原惺窩(ふじわらせいか)に学び、文人であり築庭家であり書家であった。寛文十二年(1672年)没、享年八十九歳。現在の詩仙堂は江戸中期に改築復興されたものである。

京都の京扇堂本店のすぐ脇に東本願寺の別邸、枳穀邸(きこくてい)がある。 枳穀邸とは周囲に枳穀(からたち)を植えてあったことから、その名がついたという。枳穀邸は又、渉成園(しょうせいえん)ともいい、源融(みなもとのとおる)の邸、六条河原院跡の一部といわれている。(後述)

三十年程前、筆者も一度拝観したことがあるが、中に石川丈山が天文を観察したという櫓というか、小さな楼閣があった。かなり老朽化していたので、今はどうなっているか、わからないが、その時、石川丈山が天文を観ていたということが、妙に印象に残った。

石川丈山の先生、仙人白幽

その後、白隠禅師の『夜船閉話』(やせんかんな)をよんだ時、『夜船閉話』は『遠羅天釜』(おらてがま)と共に白隠が養心養生法について書いた本だが、その中に内観の秘法を白幽という仙人から授かったと書いてあり、その白幽という仙人は、昔の大賢人、石川丈山の先生であり、天文に通じ、医学にも深い知識を持っていた、とあった。

同書に依ると、白隠が白幽に会ったのは宝永七年(1710年)で、その時、白幽の年齢は二百歳から三百歳の間だったという。白隠は貞享二年(1685)の生まれだから、白幽に会った時、二十五才である。

関根只誠(せきねしせい)の『名人忌辰録』には、

「白幽子、白仙。姓氏不祥北白河の山中に住し常に金剛経を誦せり石川丈山の八分字は此翁に学へりと云う。宝永六丑年八月九日寂す高寿にして二百余歳に及へりとぞ」

とある。これに依ると、石川丈山は天文医学の知識の他、書も白幽から習ったとみえる。

しかし、どう考えても年齢が二百余歳とは信じ難い。又、白幽の没年が宝永六年だとすると、翌年の宝永七年に白幽に会える訳がない。何しろ仙人のことだから、雲を掴むような話だが、一応参考のため、そのまま記しておく。


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能『融』

さて、六条河原院の主、源融(822?895年)だが、彼は嵯峨天皇の第八皇子で、源氏物語の光源氏のモデルともいわれている人物である。清和天皇の貞享十四年(872年)に左大臣になった融は河原院に住んでいたので、河原の左大臣といわれた。

百人一首の

「みちのくの しのぶもじずり誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに」

という和歌の作者である。

融は河原院に陸奥の塩釜の景色を模した庭を造り、毎日難波(なにわ)から三千人の人を使って三十石の海水を運ばせ、庭で塩焼きをして楽しんだという。

しかし、実際はそんな風流な話ではなく、自分では皇位を継承出来ると思っていたのにも拘らず、出来なかったことから、そうやって憂さばらしをしていた、ともいわれている。

能の『融』は、そういう源融が主人公である。

東国の旅僧が今は荒れ果てた六条河原院跡を訪れると、水桶を肩にした汐汲みの老人が現れ、源融の故事を物語り、僧の頼みに応えて都の名所を教える。老人はやがて思いだしたように汐を汲んで消えて行く。後ジテは融の霊が貴人の姿で現われ、秋の皎々たる月の光を浴びて華やかに舞う。

能『融』は、美しい月夜のイメ-ジで貫かれた幽玄にして典雅な能だ。

融の亡き後、廃墟となっていた河原院に鬼が出て来る話が『今昔物語』に載っている。(巻二十七の第十七)しかし、ここに書かれている河原の院というのを六条河原院ではなく、単なる賀茂川の河原にある邸とする解釈もあるようだ。

能『融』の後ジテも初めは鬼だったらしい。それを今のように貴人の姿にしたのは、世阿弥だという。『融』は、月の光の妖しさを感じさせる能である。

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