第4話 『曲直瀬道三』(まなせどうさん)

二本の扇子

堅い話が続いたので、年末でもあり、ぐっと砕けた話で年忘れとする。

織田信長に、当時の著名な医者、曲直瀬道三が謁見した時のことが『醒睡笑(せいすいしょう)』 という本に載っている。道三は進物として扇子を二本、持って行った。信長の家来達は、何て粗末な物を持ってくるヤツか、と呆れ返った。道三は「めでたく、二本〔日本〕を手の内になさるように」と言上したという。なかなかウイットのある男だったようだ。

古道三というのは、この道三のことである。古道三の甥の玄朔(げんさく)が二代目を継いで同じく道三を名乗ったが、やはりなかなかの名医で、家康、秀忠の侍医を勤めた。


道三橋の由来

江戸の古地図を見ると、今の丸の内辺の堀に道三橋がある。その堀を道三堀といい、道三の屋敷はその堀沿いにあった。

道三橋がなかった頃、城から呼ばれると、いつも道三が登城してくるのに時間がかかるので、もっと早く来られないのか、といわれて「自分は堀をぐるっと廻ってくるのでどうしても遅くなる。もっと早く来いというのなら、橋をかけてくれ」といって出来たのが道三橋だという。

昔、食事の後、食器についた飯粒や汁の残りなどを、白湯をさしてきれいに飲むのを道三汁といった。一種の養生法だが、これはこの道三が言い始めたことらしい。


古道三の逸話と落語の『代脈』

古道三の方には、別に面白い逸話が伝わっている。

あるウツ病の姫君を診察した時に、姫君が思わずおならをしてしまい、恥かしさののあまり真っ赤になった。その時、道三はさり気なく「自分はこの頃、耳が悪いので、何かお尋ねのことがあったら、紙に書いて貰いたい」といった。

それで、姫君も今の自分が粗相した音も道三には聞こえなかったと思って安心された。その後、三年の間、道三は耳が悪い振りをし続けたという。

『代脈』という落語があるが、これは、この古道三の話が基になっていると思われる。代脈とは代診のことである。


ある医者が往診に行けなくなったので、弟子を代わりにやることになった。患者は若い娘で、医者が診察した時、娘の下腹にシコリがあり、そこを押すと娘がおならをした。

医者は、娘が恥ずかしがると思い、とっさに「近頃、年をとってとんと耳が遠くなったので、何かいうことがあったら、大きな声でいって下され」と傍にいる娘の母親にいった。それを聞いて、娘も安心したらしい。

だから、娘の下腹のシコリには絶対に触れるな、と医者は弟子に念を押したが、そこは、やるなといわれると、却ってやりたくなるのが人情で、代診に行った弟子が恐る恐る娘の下腹のシコリに触れると、大きなおならが出た。

弟子は慌てて「何かいうことがあったら、大きな声でいって下され。近頃、耳が遠くなって、今のおならも聞こえなかった」といった。


因みに、おならというのは江戸の女言葉で、男言葉では屁という。おならの話が出たので、今日のところはこれで、屁ーかい〔閉会〕ということにさせて頂く。

      、、、
では又、さよおなら。

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(終)

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