第1話 『班女』

『班女』という能がある。

主人公の花子は美濃の野上の遊女である。彼女は東国へ下る吉田の少将と深い契りを結び、夕顔を描いた扇を互いに取り交わして別れたが、それ以来、日がなその扇を弄んでばかりいるので、中国の班 倢伃(はんしょうよ)の故事から班女と呼ばれる。

宿の女主人は、花子が扇をいじり廻しているだけで他の客の相手をしないのに怒り、花子を宿から追い出してしまう。吉田の少将は、都への帰途、再び野上の宿を訪れるが、花子はもういない。都へ上った少将が下賀茂神社へ参詣すると、少将への恋慕のあまり物狂いとなった花子が現われ、やがて二人は互いの扇を取り替えて相手を確認し、再会を喜び合う。

以上が、能の『班女』の粗筋である。

班女は中国、前漢の成帝の愛人である。倢伃は女官名である。趙飛燕(ちょうひえん)に成帝の寵を奪われた彼女は、我が身の上を、秋になると打ち捨てらる扇に託して『怨歌行』という詩を作った。『班女』という能は、この『怨歌行』をテーマにした狂女物である。

成帝は、あの有名な王昭君と同時代の人である。王昭君は成帝の父、元帝の後宮にいた。その頃、成帝は皇太子だった。王昭君が匈奴(きょうど)の王、呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁いだのは BC33年で、その年、元帝が亡くなり、成帝が後を襲って皇位についた。

成帝の新しい愛人、趙飛燕は、西施や王昭君、楊貴妃ほど、我が国では知られていないが大変な美人だったという。

今、叶姉妹という美人姉妹が有名だが、飛燕の妹の合徳(ごうとく)もなかなかの美人で、やはり成帝の後宮にとしてあがり成帝の寵愛を受けた。飛燕は、その後(BC16年)、正式に皇后となる。成帝は、 BC7年に死んだが、荒淫が原因だったという。

さて、班女の扇だが、これは今の扇とは違うようだ。今のように、竹の骨に紙を貼って折り畳めるような扇は、日本の発明といわれている。

この折り畳み式の扇は、摺畳扇(しょうじょうせん)とか和扇とか呼ばれて中国では珍重されたらしく、平安時代から室町時代にかけて、日本の重要な輸出品だったという。しかし、それは中国では唐、明の時代であって、成帝の頃の日本は、まだ弥生時代である。

『怨歌行』に出てくる扇は、新しい、絹の名産地、齊でとれた白絹を切り裂いて作った扇で、その白さは霜か雪の如く、形は丸くて明月に似る、とある。これは、今の感覚でいえば、扇というより団扇といった方が分かり易い。

謡曲の『班女』には、和漢朗詠集の中の扇に関する詩や歌が随所に引用されている。
いくつか、挙げてみると、

「が団雪の扇 岸風に代へて長く忘れぬ───以下略」
(大江匡衛(まさひら))

「夏はつる扇と秋の白露と いづれかまづはおかむとすらん」
(壬生忠岑(みぶのただみね))

団雪の扇とは、白い丸い形の扇ということである。折り畳み式でない扇、つまり団扇は、その名の通り、丸い形が多かったようだ。

時代がずっと下がった唐時代の詩人、白居易の白羽扇の詩にも、

「盛夏に(き)えざる雪 年を終ふるまでつくること無き風 秋を引いて手の裏に生る 月を蔵して懐の中に入る」

白羽扇とは白い鶴の羽で作った扇である。
最後の「月を蔵して」の文句は、月のように丸い扇を懐中に入れるということだ。

能の『班女』は、同じ能の『隅田川』の前段だという説がある。知っている能を一つ挙げろ、といわれれば、『隅田川』と答える人も多いだろう。梅若丸の悲しい物語である。『班女』が『隅田川』の前段だとすれば、梅若丸の父は吉田の少将で、母は花子ということになる。

今、隅田川を挟んで、木母寺と反対側の橋場に、梅若丸の母の墓という妙亀塚がある。梅若丸の母は、その後、尼となって亡き子の菩提(ぼだい)を弔って終わったが、その妙亀尼の墓だという。しかし、それは伝説で、実際はもっと古い時代の古墳らしい。

江戸名所図絵では、斎藤月岑(さいとうげっしん)は「鎌倉時代の武将、千葉常種(つねたね)の六男、東六郎胤頼(たねより)の墓か」といっている。

(終)

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