第12話 『宇治加賀掾』

宇治加賀掾(うじかがのじょう)

近松門左衛門が、義太夫節の祖、竹本義太夫の為に数々の名作を書き残したことはよく知られているが、それ以前、宇治加賀掾と組んでいたことはあまり知られていない。宇治加賀掾は寛永十二年(1635)紀州和歌山の宇治の生まれで、本姓を徳田といったという。

斎藤月岑(さいとう げっしん。有名な『江戸名所図会』などの著者)の『声曲類纂』の「宇治加賀掾藤原好澄」の項に、

「伊勢島宮内(いせじま くない)が弟子にして宇治嘉太夫と號す。元来謡にくはしく、其頃井上播磨が音曲世に流行ける故、自ら工夫をこらして別に一流の曲節を語り出す」

とあり、伊勢島宮内については、同書に、

「江戸虎屋源太夫の門弟にして、一流を語り出す。伊勢島節とて承応の頃(1652~1654)より行れぬ」

とある。

加賀掾は延宝三年(1675)四十一才の時、その宮内の名代として、京都四條河原で操り興行を催し、「大磯虎遁世記」を語って大評判をとったという。

加賀掾を受領したのは延宝五年で、その頃から近松門左衛門と組んで次々に新作浄るりを語り、その名声を高めたが、興行主の竹屋庄兵衛と不仲になったことから、庄兵衛は貞享二年(1685)に今度は大坂で竹本義太夫と組み、作者として近松門左衛門を引き抜いてしまう。

翌貞享三年、加賀掾は大坂へ下り義太夫と対決するが、勝つことは出来ず虚しく京都へ帰った。その後は専ら京都で興行を続けたようだが、正徳元年(1711)七十七才で世を去った。

『竹子集』

加賀掾は自分が語り出した段物集を何冊か出版しているが、中でも『竹子集』(たけのこしゅう)は重要なものだ。『竹子集』は別名を『浄るり初心抄』といい、謡曲本のようにゴマ点を打って丁寧に節付けがしてあり、節付けの刊行本として最初のものである。

加賀掾は文才も結構あったようで、『竹子集』の序文など、なかなかのものだ。その冒頭に、

「浄るりに師匠なし、只謡を親と心得べし」

という有名な言葉が出てくる。これが、加賀掾の基本精神なのだが、前出の『声曲類纂』には、この言葉は井上播磨がいったとしている。

「浄るりに師匠なし、謡をもって師と心得よ」

と弟子達に伝えたと書いてある。

因みに、井上播磨は、西鶴の『諸国ばなし』(巻四の一)にも、

「浄るりの太夫に井上播磨とて、さまざまのふしを語り出して、諸人に口まねさせける」

と出てくる、大坂で大人気の太夫である。

『声曲類纂』には、井上播磨は虎屋源太夫の弟子としてある。そうすると、加賀掾の師の伊勢島宮内とは兄弟弟子ということになる。
どちらがいったかという詮索は別にして、浄るりに師匠なし云々は、加賀掾の言葉として有名だ。

『竹子集』が出たのは延宝六年(1678)、義太夫は貞享四年(1687)に『義太夫段物集』を出し、その序の中で、加賀掾に対抗するかのように、

「又とふていはく、浄るりは謡を父母とするといへり。しからば先謡をならひて後、浄るりを稽古すべきかと。こたへていはく、それは面々の得かた有べし。われらが一流は、むかしの名人の浄るりを父母として、謡舞等はやしなひ親と定め侍る」

といっている。

扇子拍子

『竹子集』に戻るが、加賀掾はその中で、祝言幽玄恋慕哀傷の語り方、身の構え方など懇切に述べている。例えば、恋慕について、

「恋慕は、幽玄の上に、切なるこころざしを専とす。いかにも人にうちもまれ、なつかしき心をもち、ふかく思い入てかたるべし。思ひうちにあれば、色外にあらはるる。しら露も、紅葉におけば、紅の玉といへるがごとし」

といった調子である。面白いのは、扇子拍子について述べている部分で、

「扇子拍子は、語り出すさきの位を、しゃみせんに、しらせんためなれば、一息一息にうつものにあらず。さきのくらゐをすすめんとおもふか、しづめんと思ふ時ばかり、うつべし」

とあるのは、これから当時太夫が扇子拍子を打っていたことがわかる。

同じ加賀掾の『紫竹集』(元禄十年)には、

「地色詞に拍子なき物なれば、扇拍子打事なかれ、地ふしさへしげきはかしましいやしし」

とある。

色詞(いろことば)というのは節と節の間にあるセリフの部分で、ふつうにセリフとしていうのではなく、又そうかといって節をつけて唄うものでもなく、その中間で語るものとされている。

現代の邦楽では、唄い手は唄う時に扇子を手にとるが、その扇子を打って拍子をとることはしない。扇子をどう打ったのか、床か、見台か、膝か。

前に邦楽の唄い手の扇子の持ち方について書いたが、江戸時代の唄い手は右手で扇子の要の所を持って膝の上に横に置いて唄っていたようだ。加賀掾と同時代の菱川師宣の『歌舞伎図屏風』に描かれている唄い手も同じように見える。

そんなことから、膝を打ったのではないかと思うのだが、どんなものだろうか。


参考リンク:菱川師宣昨『歌舞伎図屏風』 – e國寶

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