第108話 『小西来山(三)、作品と生涯』

来山は晩年、大坂今宮に住んだ。

句集に『今宮草』、『続今宮草』等がある。

来山の句をいくつか挙げると、

春雨や 炬燵のそとへ 足を出し

花咲て 死とむないが 病かな

むしっては むしっては捨 春の草

淨しゅん童子、早春世をさりしに(前書)
春の夢 気が違はぬが うらめしい

早乙女や よごれぬものは 歌ばかり

納涼
是ほどの 三味線暑し 膝の上

秋たつや はじかみ漬も すみきって

過し頃、三千風が行脚をうら山しく
はなむけして、身のほどをいふとて(前書)
幾秋か なぐさめかねつ 母ひとり

──来山は九歳の時、父と死別し、母の手で育てられた。前書にある三千風とは、大淀三千風(1639~1707)のことで、三千風は伊勢松坂の人。仙台に赴き松島に十五年も住んだ。天和三年(1683)、全国行脚に出かけ、『行脚文集』を残している。晩年は故郷に帰り没したという──

行水も 日まぜになりぬ むしのこゑ

──日まぜとは、一日置きのこと──

独居
身を抱ば 又いきどしき 夜寒

我寐たを 首上て見る 寒さかな

お奉行の 名さへおぼえず とし暮ぬ

──奉行とは、大坂奉行──

来山は『女人形記』や、その奇行から一般に、生涯独身だったと思われていたようだ。

伴蒿蹊の『近世畸人伝』の続きにも、

「(来山の)発句どもは人口に膾炙するが多き中、箏の絵賛を禿筆してかけるを見しと人のかたれるに、その物を育んとて、其物を損ふ、と詞書して、

竹の子を 竹にせんとて 竹の垣

といへるなど、行状にくらべておもへば、老荘者にして俳諧に息する人にはあらざりけらし。さればこそ、其辞世も、

来山は 生まれた咎で 死ぬる也
それでうらみも 何もかもなし

といへりとなん」

これでみると、伴蒿蹊も、来山は生涯独身で通した、と思っていたようにみえるが、その後の研究により、来山は二度結婚していたことがわかっている。

大坂の最勝寺の過去帳から、法名を妙信という前妻と、同じく貞林という後妻があったという。

宝永三年(1706)六月に来山は淨林という実弟を亡くし、翌四年八月に前妻を失っている。その頃、人生の無情を感じて『女人形記』を書いたのではないか、といわれているようだ。

忍頂寺務氏の『清元研究』の「土人形の色娘』の項に、小西来山の年表が出ているので、主なところを次に挙げる。

一、承応三年(1654)浪花に生まれる。平野町の薬種商、小西長左衛門の縁類で、俗称を伊左衛門、父の名を六左衛門といった。
一、万治三年(1660)七歳。父の因みで、談林派の西山宗因の弟子の前川由平について俳諧を学び、俳名を万平と称した。
一、寛文二年(1662)九歳。父と死別。
一、天和二年(1682)二十九歳。この年の三月に西山宗因死去。この年までの間に年代は不明だが、西山宗因に師事して来山と称し、俳諧の点者となったという。
一、元禄三年(1690)三十七歳。この年、鬼貫との共著で『生駒堂』がある。
一、元禄十三年(1690)四十七歳。この頃、黄檗宗の悦山禅師に参じて、十万堂と称するようになったといわれる。
一、元禄十四年(1691)四十八歳。七月に母、理法尼死去。来山は大変な母孝行で、母が心配のあまり遠方へ吟行に出かけることもなかったという。

母と別れて後、大酔に及ばぬ時は一日も夢に見ぬ事なし(前書)
今日の月 只くらがりが 見られけり

一、宝永三年(1706)五十三歳。六月、弟淨林逝く。
一、宝永四年(1707)五十四歳。二月に晋子其角が死んだ。

悼晋子 武江におゐて晋其角、ことしの花にさきだちぬるよし、惜むべし(前書)
霞けり 消けり 富士の片相手

八月に妻、妙信尼死去。鬼貫の句に、

来山が妻の追悼 荻の葉そよぐ、ゆうべ、さよ更る砧。ねやにさし入月かげつれて、わたる雁がね、人の妻の摺鉢の音
うつつなの 夜とは秋とは 今そ嘸

一、年代不詳だが、この後、堪々翁と称し又、後妻を迎えたものと思われる。
一、正徳二年(1712)五十九歳。正月、後妻の子の淨春童子が死んだ。

時こそ至れ、出生旧地の浪華津をはなれ、今の今宮の幽居(十万堂)をしつらひ、しばらくの齢を貪る。しかもことしは古暦にかへる春をことぶきて(前書)
花の春 命に枝や 東うけ

一、正徳六年(1716)、この年六月に享保と改元、従って、享保元年、六十三歳。十月三日に小西来山死去、一心寺に葬る。此処では、来山の辞世の句は、

よしやよし 身は夕暮の もどり馬
月を目あてに 一筋のみち

 となっている。

後妻の貞林尼は、その十八年後の享保十九年(1734)十月二十二日に亡くなったという。

来山の死後、出版された句集及び追善集として、次の書名が挙げてある。

『木の葉駒』享保三年(1718)
『今宮草』安永七年(1778)
『続今宮草』天明三年(1783)
『たつか弓』享保十四年(1729)
『俳諧葉久母里』享保十七年(1732)
『時雨集』寛政十年(1798)
『虫の声』大正四年(1915)
──終わり──

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