第106話 『小西来山(一)、「女人形記」』

 清元「保名」の文句に、

「アレあれをいまみやの、来山翁が筆ずさみ、土人形のいろ娘、たかねの花や折ることも、ないた顔せずはら立てず、りんきもせねばおとなしう、アラうつつなの妹背中」

 とある。

 この来山翁とは談林派の俳人、小西来山(1654~1716)のことで、俳号を初め万平といったが、後に来山と改めた。別号に十万堂、湛々翁等。晩年は大坂今宮に住み、雑俳点者として活躍したという。

 伴蒿蹊の『近世畸人伝』によると、

「為人昿達不拘、ひとへに酒を好む」

 とあって、その奇行のいくつかが出ている。

 来山は身なりにもあまり構わなかったとみえて、酒に酔って町を歩いていて怪しい男と見咎められ捕えられたが、住所氏名を名乗らなかったので、牢に入れられてしまった。

 二、三日も師の姿が見えないので門人達が心配して官に訴えたので漸く釈放された。

 門人達が、

「牢に入れられて、さぞ、お辛い思いをなさったことでしょう」

 というと、

「いいや、自炊する必要もなく、楽でのんびり出来た」

 といったと云う。

 来山は人形と一緒に暮らしていて、『女人形記』という文章を書いている。

『女人形記』はいくつかの本に紹介されていて、今でも見ることが出来るが、多少文句に違いがあって、どれが来山が書いた元のものか、判定するのは難しい。

 『睡餘小録』という書に、その来山の人形の図と『女人形記』が載っているので、次にそれを挙げる。

図の右上に、十万堂遺物女人形、とあり、左上に、女人形并女人形記の全文知る人稀なれば載す、と出ている。

 図の右上に、十万堂遺物女人形、とあり、左上に、女人形并女人形記の全文知る人稀なれば載す、と出ている。

 図に続いて『女人形記』の全文が載っている。

 人形は柿右衛門作の陶製で、『女人形記』によると、路で見つけて懐にして帰った、とある。

 この人形については、後で再び触れることにする。

『女人形記』は比較的短いので、次に全文を挙げる。

「西行法師に銀猫を給ひけるに門前の童子にうちくれて通りしとかや、いはくこそあらめ、我は路にてやきものの人形にあひ懐にして家に帰り、昼は机下にすへて眼によろこひ、夜は机上に休ませて寐覚(ねざめ)の伽とす、世を見れば画本の達磨などを祟て、科もなき身を白眼つめらるるよりは、はるかにましててんや、物いはず笑はぬかはりには腹たてず、悋気せず、蚤蚊の痛を覚ねば、いつ迄も居住居(いずまい)を崩さず、留守に待つらんとの心遣ひなし、酒をのまぬは心う(憂)けれど、さもしげに物くはぬはよし、白き物ぬらねば(塗らねば)、はげる事なし、四時おなじ衣装なれども、寒暑をしらねバ此方気のはる事更になし、夏はむかふに涼しく、撫るに心よく、冬は爐のもとをゆるさねば、よい加減にあたたかなり、女の石に成かたまりしためしを思へば、石の女に化すまじきものにもあらず、千とせをふ(経)とも変ずまじきかたち、風老がなからんあとの若後家、さりとも気遣ひなし、舅(しうと)は何国の土工とや、出所をしらず、あらうつつなの、いもせ物がたりやな

折事も 高根の花や
見たばかり
来山 」

 来山の女人形を陶製で柿右衛門の作としたのは、『睡餘小録』の付録に、吉野泥像という記事があって、その人形(立像)の図

、『睡餘小録』の付録に、吉野泥像という記事があって、その人形(立像)の図

が出ているのだが、その添え書きに、

「徳子吉野の像なり伊満利柿右衛門の造所(つくるところ)にて来山の泥像と同物なり但其光沢(つや)美麗まされるよし併見(あわせみる)人語れり面皃(かおかたち)生(いくる)が如く深夜これに対すれば人をして寒粟せしむ」

 とあることから、来山の人形も有名な二代目吉野太夫徳子をモデルにしたものと分かる。

 勿論、特別に造らせたものではなく、町で見かけて手に入れたものなので、同称の人形が何体もあっても不思議はない。

 来山の人形は今、大坂八尾の西尾家に伝わっているそうだが、その外、同じような人形が今のところ、六体見つかっているという。

“第106話 『小西来山(一)、「女人形記」』” への1件のコメント

  1. awataguchi より:

     初めまして。私の知り合いに「女人形記」の軸装を所持されている方がいます。私自身、俳句には全く無関心ですが古文書好きなので記載内容を解読してもらえないかとの事でした。このことで小西来山の存在ならびに「女人形記」の事について初めて知りました。この「女人形記」の冒頭部分に「片膝で・・脇息にもたれ・・」の記載があり、寛政期に出版された「摂津名所図会・西成郡」にも同一の記載があるみたいです。このことから「女人形記の人形」は立ち姿の人形ではないと思います。
     「女人形記」についてネット検索や書籍で色々調べましたが原本はもとより写し物の画像も情報がありません。この「女人形記」は私個人としては表に出すべき貴重な資料だと感じています。所持者の承諾次第ですが。

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