History of folding fan shops

扇屋店先図屏風 大阪市立美術館

The first appearance

From the second half of  the Northern and Southern Courts period(1333 ~ 1392) to the start of Muromachi period (1333~1573), business of selling fans was begining to develop.

The first year of Kannou era(1350)    the Gion shrine gave an order toKenibo of Kondouan for fan paintings.

The first year of Kannou era(1350)     Oogimachi Tennou took two fans which is made of ten quires of thick papers

Cited from “Gionsha shugyou nikki (Diary of the Gion shrine lead monk)”.

Jouji three(1364)   A fair was held on the west side of lodgings of fan dealer who is a nun in the Shijo Muromachi.

Cited from “Moromoriki”

Ouei era 12 (1405)   There were a fan shop named Kawachiya in this time.

Ouei era 14 (1407)   There were a fan shop named Zen-ami in Nishihoo Rokkaku Karasumaru.

Ouei era 14 (1407)   There were a fan shop in Nishihoo Sanjo Higashi-no-toin(Tuzen – ji).

Ouei era 16 (1409)   There were a fan shop in the Ane koji Abura koji.

Cited from “Yamashina kyogen no nikki (Diary of Yamashina kyogen, a court noble).

Ouei era 16 (1409)   there were a fan shop named Kagasen.

Cited from “Kyougenkyouiki”

應永19年(1412) 三条坊門室町の扇屋がこれを書写したとある。

*以上「粉川寺縁起の書写奥書 (増訂考古画譜)」より

Keiei era 19 (1412)

■名人慶阿弥

応永20年(1413)ころ没の都の扇絵の名人慶阿弥という扇絵師の記述がある。

これによると室町時代始めには扇絵師という職業が成り立っていて、名声が天下に知られるほど扇がポピュラーだったことを示している。

–慶阿弥餓鬼道に堕して念仏の追善を乞う

–慶阿弥が筆といひて天下にかくれなかりけり

*以上「称名念仏奇特現證集」上巻より

(安土の浄土宗浄厳院開山の隆尭による念仏説話集)

■盛んな輸出

扇の生産が急加速。明への献物として相当量が国外に出ている。刀とならび輸出の主力製品であった。

応永8年(1401) 扇百本と屏風三双が明への献物に選ばれている。

永享4年(1432) 2200本の扇が将軍の商品として中国に輸出。

永享8年(1436) 扇百本が献物に入っていて、以降恒例化。

永享12年(1440) 扇百本を朝鮮の官人に贈る。

応仁2年(1468) 三百文扇子300本と二百文扇子が将軍の商品に選択される。

*以上「遣明国書」より

■繁盛する扇屋

永享12年(1440) 相国寺山門の彩色にあたる事を希望する4人の絵師が扇絵を差し出す。

文明10年(1478) 椿井扇屋菊若丸、祖父の代からの扇屋で有徳人。

文明15年(1483) 誓願寺扇屋加賀祐賢、粟田口絵師隠岐越後守の借金の商人に なる。

*以上「大乗院寺社雑事記」より

文明17年(1485) 城殿(きどの)扇という扇屋、下長者町堀川西にあり、大衆的な扇を販売。

*以上「蜷川親元日記–砂金裏紙薄様城殿調進之– 庭訓往来」より

■扇市と扇座

永仁元年(1293) 扇紙売買座あり。(鎌倉時代後期)

*以上「兼仲卿記」より

室町時代中期には毎年同じ日に相国寺門前に扇市が開かれていた。

文安3年(1446) この年没の江西龍派の「扇市」という絶句あり。

延徳2年(1490) 彦竜周興「扇市」という絶句。相国寺門前にあり。

*以上「半陶文集」より

延徳4年(1492) 相国寺門前に扇市あり。

*以上「蔭涼軒目録」より

永正4年(1507) この年没の琴叙景趣の詩句に扇市の文字。

永正15年(1518) この年没の景徐周麟の詩句に扇市の文字。

天文2年(1533) この年没の月舟寿桂の絶句に扇市図という絶句と市の図。

*以上「兼仲卿記」より

永正13年(1516) 扇座譲状。四条富小路の布袋屋本所の当主が正親町高倉の布袋屋の里座をさい女に譲ろうとするもの。高辻烏丸因幡堂前の鶴や井蔵、二条室町の菊屋、四条万里小路の雉屋という同業者の名前あり。

*以上「蜷川家古文書」より

永正13年(1516) 扇座に資格の無い者の進出禁止の通達。

天文8年(1539) 狩野元信、蓮池秀明、永明院光信、扇座を代表して幕府に相続人以外の進出禁止を願い出る。

天文10年(1541) 時宗の新善光寺僧坊では御影堂の扇という扇の生産が盛ん。

*以上「初渡集 策彦周良」より

■京の扇屋

明応元年(1492) 亀泉集証が菊屋から正月用の扇を受け取る。

天文3年(1534) 町衆の扇屋と斎をした、という記録。

*以上「本願寺「私心記」」より

天文8年(1539) 「扇屋大聖」の名前

*以上「鹿苑日録」より

天文9年(1540) 熊野の勧進が南条という四条扇屋の案内で土倉に金40両をあずける。

永禄2年(1559) 「四条の扇ノ座、ツルヤ与太郎」の名前。

*以上「多門院日記」より

永禄5年(1562) この年没の貞孝、小川扇屋にて扇をあつらえる。

永禄7年(1564) 山科言継、布袋屋で扇をあつらえる。

元亀2年(1571) 山科言継、小川の大黒屋で扇をあつらえる。

*以上「澤巽阿弥覚書」より

天正11年(1583) 奈良の多門院英俊、京扇を求める。

天正12年(1584) 奈良の多門院英俊、京扇を求める。

文禄2年(1593) 冷泉町に11軒の扇屋。

*以上「前田玄以へ提出した家主衆の書き出し」より

慶長2年(1597) 五条油小路、扇屋喜斎の名前。

*以上「言経卿記」より

慶長4年(1599) 扇屋五郎が年越しの礼に訪問。

*以上「多門院日記」より

慶長12年(1607) 俵屋宗達下絵の年記のある扇。

慶長13年(1608) 扇屋が受領名を請い、扇を進上。

*以上「御湯殿のうえの日記」より


この項の画像以外のテキストは次の資料から、著者のご了解を得て要約抜粋させていただきました。著者のご好意に深く感謝いたします。

「扇屋—-日本の美術1 第320号 扇面画(中世編)宮島新一編著 1993.1.15 至文堂」

至文堂さんのサイトURL http://www.shibundo.net/

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