古代中国から用いられていたという団扇とは、今の「うちわ」のことで、折り畳みのできる「扇」は日本ではじめて創られた後、中国にも伝わった我が国起源のもの。
平安時代の初期、承和(834~848)頃から、宮廷で侍臣たちに扇を賜る 年中行事があったと「西宮記」に記されていることなどから、すでにこの頃より京の都で扇が発明され、用いられていたと察せられる。

最初の扇は「檜扇」と呼ばれ、記録用の木簡の一方を綴り合わせて創られたもの。以後、「檜扇」は宮中男子の持ち物として欠くことのできないものとなった。最近平城京遺跡からシュロの葉の形や円形の檜扇がみつかった。
しかし、最近の研究によると絵のある扇は平安時代からはじまったものとされている。

やがて扇は宮中女子にも広がり、扇面は上絵で飾られ雅やかな身の回り品となった。最も古いものとされている扇は、京都東寺の仏像の腕の中から発見された檜扇で、これには元慶元年(879)と記されている。紙扇も平安時代に発明され、これが檜扇とともに中国に伝わり、さらに遠くヨーロッパに広まった。

平安時代より扇は、そのほとんどが京都で生産されてきた。京の古い扇屋は 「阿弥」の称号を名乗り、「京扇堂」も旧名は「眞阿弥京扇堂」という名で洛中の人々に親しまれてきた。
現在の当主は六代目。初代は富山魚津藩に代々仕えた武士で、戦国時代には石山合戦にも加わった後、京に出て東本願寺の寺侍となった。そして寺町通五条にあった「持阿弥」で修行し、 天保三年(1832)に西本願寺前の油小路花屋町に店を開いたのが始まりとなる。